謙虚と遠慮

 

謙虚でいなさい!

僕は、よく言われました。

だからなのか、このフレーズには、あまりいい印象がありません。

自分の中にある謙虚さを否定されたような気がしたし、

どこか「積極性の弱み遣い」を評価されているようにも感じていました。

実はこの「謙虚と遠慮」は、

ワークショップでもよく盛り上がるテーマのひとつです。

どんな言葉も、捉え方は十人十色。

特にメンタルを扱う空間では、

国語の授業のように「正しい意味」を決めにいかないよう、

いつも注意を払っています。

人それぞれが感じていることをシェアし、

その違いを知ることで、場はとても豊かになります。

僕ら人間は、どこか「美しい言葉」が好きなのかもしれません。

謙虚。

遠慮。

この二つは、混同される場面がとても多い言葉です。

たとえば、学びの場で質問をされたとき。

間違いが怖いからなのか。

分からないことが恥ずかしいからなのか。

それとも、自分ばかり発言して、

他の人が困っていないかを気にしてなのか。

スポーツの場面でも、同じようなことが起こります。

失敗したらどうしよう。

自分のプレーでチームが負けたらどうしよう。

正解は何なんだろう。

そうした思考の中で生まれる「遠慮」や、

自覚のないままの遠慮の中に、

パフォーマンスを下げる要因が

たくさん隠れているように感じます。

一方で、遠慮することで、

結果的にいい流れが生まれることもあります。

自分が出なかったことで、

相手の失策によって状況が好転することもある。

年配の方に席を譲る親切心もそうですし、

せっかく与えられたチャンスに、

恐れることなく積極的にプレーすることも、

どちらも「遠慮しない選択」の中にある行動です。

そして時には、

チャンスを与えられたその瞬間に、

結果など考えず、

自分の肉体を通じて、

自分を思いきり表現することが、

「謙虚でいる」という在り方になる場面もあるのではないかと、

僕は感じています。

ここに、答えや正解・不正解はありません。

僕らは、さまざまなシーンの中で、

都合よく選択をしています。

それが快なのか、不快なのか。

強み使いなのか、弱み使いなのか。

ただそれだけの話であって、

そこに正解は存在しません。

ただ、その選択によって、

自分は何を得て、

何を失っているのか。

壮大な人生の中で、

一日に何万とある場面での選択が繰り返され、

それがやがて癖となり、

ルーティンとして形づくられていきます。

こうして見ていくと、

謙虚や遠慮は、

人のビヘイビアに深く関わるものだと感じます。

言葉の輪郭を整えることと、

実際の行動が整理されることは、

必ずしも一致しないのかもしれません。

だからこそ、

仲間たちとこれらを題材に語り合うことに、

大きな意味があるのだと思います。

人それぞれが、

どんなときに謙虚だと感じ、

どんなときに遠慮しているのか。

その感覚を知ること。

違いに触れること。

それ自体が、

自分の在り方を見つめ直す時間になるのかもしれません。


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― 競技・指導・人生に共通する在り方 ―

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そのことを、5つの視点から綴っています。

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今、気になるものから辿ってみてください。

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