選手の存在にフォーカスする
競技に向き合っている時間は、
あなたの壮大な人生の中の、ほんの一部に過ぎない。
勝っても負けても、
あなたは両親の子であり、
誰かのパートナーであり、
仲間を持ち、日常を生きている一人の人間だ。
結果によって、その事実が変わることはない。
それでも人は、
その「人生の一部」に本気になる。
本気になるからこそ、苦しくなり、迷い、揺れる。
スポーツが特別なのは、
人生の一部でありながら、
その人の存在そのものが試されているように感じてしまう点にあるのかもしれない。
目標達成という言葉は、
日本のスポーツ現場ではとても自然に使われる。
数値、順位、勝敗、到達点。
目標を持つこと自体が悪いわけではない。
むしろ、多くの選手が、目標を持つことで前に進んできた。
ただ、いつの間にか、
目標が「手段」ではなく「主語」になってしまう瞬間がある。
結果を出す人。
期待に応える人。
勝つべき存在。
そのラベルが先に立ったとき、
選手の「存在」は、少しずつ後ろに下がっていく。
人ではなく、役割として見られ、
自分自身もまた、そう振る舞おうとしてしまう。
多くの選手は、感謝している。
それは建前ではない。
チームメイト、両親、指導者、サポーター、
学食のおばちゃん、整骨院の先生。
名前を挙げれば、きりがないほどだ。
支えられてきたことを、
本人が一番よく分かっている。
だからこそ、
その感謝が、ある瞬間に別の形へと変わる。
圧倒的に不利な展開。
疲労で身体が思うように動かなくなった終盤。
そこで浮かんでくるのは、
「申し訳ない」という感情だ。
応えなければならない。
期待を裏切れない。
迷惑をかけてはいけない。
その思いが強くなった瞬間、
プレーは静かに、しかし確実に小さくなる。
大胆さが消え、
選択は無難な方向へと寄っていく。
感謝しているからこそ、
思い切れなくなる。
日本人の感謝は、ときに選手の背中に
見えない重りとして乗ってしまう。
しかし、
周囲の人たちは、
本当に「結果」だけを見ているのだろうか。
スタンドにいる家族や仲間は、
あなたの勝敗よりも、
あなたがそこに立ち、
必死に向き合っている姿そのものを見ている。
勝利という形で
みんなで喜べたら、もちろん嬉しい。
けれどそれは、義務ではない。
悔いなく腕を振ること。
思い切りボールを蹴ること。
逃げずに、その瞬間に存在しきること。
それだけで、
誰かは勇気をもらい、
誰かは救われている。
スポーツは、楽しむものだと言われる。
その言葉が、
軽く聞こえてしまう選手もいるかもしれない。
楽しむとは、
楽なことではない。
怖さも、悔しさも、苦しさも含めて、
それでも向き合うことだ。
競技は、人生のすべてではない。
けれど、人生の一部として、
全力で関わる価値がある。
その時間を、
どう過ごすかを描きながら、
選手は今日も競技の場に立っている。
私は、
その人生の一部をどう歩くかを、
代わりに決めることはできない。
答えを与えることも、
正解を示すこともできない。
ただ、
結果や役割の奥にある「存在」に戻る場所を、
隣で一緒に確かめることはできる。
勝っても、負けても、
評価されても、されなくても、
あなたはあなたである。
その事実に立ち返りながら、
また競技に向かっていく。
私は、
その歩みに寄り添う伴奏者でありたい。
もし今、
目標や感謝が重く感じられているなら、
一度、存在にフォーカスしてみてほしい。
あなたは、
何かを成し遂げるためだけに、
ここにいるわけではない。
ただ、
「いる」という事実から、
すべては始まっている。
📩 無料メール講座のご案内
日常の中で、少し立ち止まる時間として
受け取っていただけたら嬉しいです。
・体験セッションのご案内は こちらから
・お問い合わせは こちらから
福岡正一が大切にしている、5つの視点
― 競技・指導・人生に共通する在り方 ―
結果や正解を求める前に、
人がどこに立ち、どう在るか。
そのことを、5つの視点から綴っています。
① まだ見ぬ景色を共に探す
結果や正解ではなく、「共に在る姿勢」について書いています。
② 大舞台でこそ大胆に!!
緊張や恐れを消すのではなく、引き受けた上で立つ在り方について。
③ 選手の存在にフォーカスする
評価や結果の前に、存在そのものを見るという視点。
④ 指導者の実存的変容
指導法や正解ではなく、指導者自身の在り方が静かに変わっていく瞬間について。
⑤ 大一番でチャレンジできるかどうかは
幼少期の過ごし方で決まる
幼少期の体験が、大人になってからの挑戦にどうつながるか。
これらは、順番に読む必要はありません。
今、気になるものから辿ってみてください。

この記事へのコメントはありません。