ひとつの情動を抑えると、すべての情動が抑圧される

 
試合中、
思い通りにいかない一本のプレーで、
思わず声を荒げてしまった経験はないでしょうか。

あるいは、
「感情を出すと負ける」
そう自分に言い聞かせ、
何も感じないように振る舞おうとしたことはないでしょうか。


鍛えられた肉体は、
成長とともに、実はとても繊細で敏感になっていきます。

ハイレベルで活躍している選手ほど、
日常的に肉体と精神を限界近くまで追い込んでいます。
そのなかで、思い通りにいかない瞬間に
怒りや苛立ちが噴き出すことは、決して珍しいことではありません。


それでも多くの場合、
私たちはその感情を「悪いもの」として扱ってしまいます。

怒るのは未熟。
感情を表に出すのは集中力が足りない証拠。
冷静でいることこそが大人だ、と。


ですが、
「怒る=悪い」という考え方は、
とても危ういものだと私は感じています。


怒りは、人間として自然に備わっている情動のひとつです。
それ自体が、善でも悪でもありません。

問題は、
怒ることではなく、
怒りをどう扱っているかにあります。


勝敗に影響するからといって、
ひとつの感情を無理に抑え込もうとすると、
人は「怒らない」方向に進むのではなく、
感じない方向へ進んでしまいます。


ひとつの情動を抑えてしまうと、
他のすべての情動まで、同時に抑圧されていきます。

怒りだけを消したつもりが、
喜びも、悔しさも、没頭も、
いつの間にか鈍っていきます。


これは精神論ではありません。
競技の現場で、実際に起こっている現象です。


怒らないようにしようと意識した瞬間、
本来プレーに向けられるはずだった感覚は、
内側へと引き戻されてしまいます。

結果として、
「カッとしない自分」を保つことにエネルギーが使われ、
プレーそのものから注意が逸れていきます。


とはいえ、
試合中に負の感情が表に出れば、
勝つ確率が下がることもまた事実です。


だからこそ、
大切なのは
感情を出すか、抑えるか、ではありません。

感情と、どう付き合っているかです。


私たちの社会では、
不快な人や発言、出来事、不条理なことを、
避けるべきもの、悪いものとして扱いがちな側面があります。

快だけを選び、
不快を排除しようとします。


ですが本来、人は
美しいものを愛する、生々しい生き物です。

私たちはみな、
喜び、怒り、哀しみ、楽しみます。

どれかひとつだけを選んで
生きているわけではありません。


不快な出来事や理不尽な状況は、
避けるべき失敗ではなく、
本来は絶好の学びの場でもあります。


プロゴルファーの古市忠夫氏は、
著書の中で
「何かを試されていると思えば、
どんなことが起こっても大丈夫です」
と述べています。


起こる出来事そのものよりも、
それをどう受け取り、
どう意味づけるか。
そこに、成長の余地があります。


感情も同じです。


感情を無理に抑え込むと、
それは消えたように見えて、
心の奥に未完了のまま残り続けます。


抑圧された感情は、
完了することができず、
形を変えて何度も繰り返されます。


未完了の感情は、
似た場面に出会ったとき、
形を変えて何度も顔を出します。
それが、いわゆるトラウマと呼ばれる状態です。


一方で、
怒りも、悔しさも、哀しみも、
その瞬間にしっかりと感じ切ることができれば、
未完了として残りにくくなります。


感情は、
味わい尽くされたとき、
はじめて経験になります。


メンタルモデル研究においても、
感情を抑えるのではなく、
十分に味わい尽くすことで、
未完了が生まれにくくなり、
学びとして定着していくことが示されています。


これは、
感情に振り回されることとは違います。

感じ切ったあとで、
次に進めるということです。


感じ切られなかった感情は、
次のプレーに影を落とします。


ですが、味わい尽くされた感情は、
身体と心に静かに沈み、
次の一瞬に集中するための土台になります。


人は、
感じないことで強くなるのではありません。

感じ切ることで、
静かになっていきます。


心の中にある感情は、
味わい尽くしてから、次に行く。


それが、
大舞台で再び自分に戻るための、
もっとも自然なプロセスだと私は考えています。


このプロセスを、
一人で進む必要はありません。

情動が揺れる時間を、
否定せず、
急がせず、
一緒に過ごす存在がいます。

それが、
スポーツメンタルコーチです。


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