不易流行|大里尚純先生(八代東高校野球部監督)

こんにちは。
スポーツメンタルコーチの福岡です。

今回は、熊本県立八代東高校野球部監督の大里先生のもとへ伺ってきました。
大里先生は、甲子園で育成功労賞を受賞されるなど、プロ野球選手をはじめ多くの有望な選手を育ててこられた名将です。
選手としても、熊本工業高校で甲子園に出場し活躍された、熊本ではよく知られた存在でもあります。

大里先生とのご縁

大里先生は私の2級上にあたります。
私が審判を始めた1992年当時、大里先生は熊本市商業高校(現・千原台高校)で指揮を執られており、オープン戦では何度もグラウンドに立たせていただきました。

1999年、大里先生が春の熊本大会で初優勝を果たされた決勝戦では、私が球審を務めました。
その後、佐賀で開催された九州大会でも、派遣審判としてご一緒させていただいています。
さがみどりの森球場のこけら落としとなったこの大会では、開幕戦の球審を務めたことも、今でも強く印象に残っています。

1999年 夏の県予選で起きたこと

その年の夏。
春の大会を制し、優勝候補として迎えた熊本市商業の県予選。
準々決勝の熊本市商業―九州学院戦で、私は球審を務めました。
詳細な場面は定かではありませんが、九州学院の攻撃中、投手の島村君に向けてワンバウンドでのピッチャー強襲の打球が飛びました。
投げ手の方に打球を受けたと記憶しています。
島村君は一度救護室へ下がり、看護師の手当てを受けました。
看護師の判断は「大丈夫」。
しかし、投球練習に入ると手が震え、力が入らず、腕を振ることができない状態でした。
看護師が「大丈夫」と判断している以上、審判の立場である私に交代を指示する権限はありません。
判断に迷いながらも、松本理事長にも相談し、最終的には大里先生に現状をそのままお伝えし、判断を仰ぐことになりました。
「島村君は、現時点では投球練習ができない状態です。ただし、看護師は大丈夫と言っています」
その結果、島村君は交代。
後続投手が急きょマウンドに上がり、試合の流れは一変しました。
投手戦は崩れ、その年の熊本市商業の夏は、そこで終わることになりました。
判断できなかった「時間」
私はその後、九州学院の2連覇を見届け、甲子園へ視察に向かいました。
ある試合で、選手が足を攣り、試合が中断する場面がありました。
おそらく10分ほどの、かなり長い中断だったと思います。
その時、胸騒ぎがしました。
今振り返れば、島村君を交代させた判断自体は、致し方のないものだったと思います。
ただ、当時の高校野球の文化の中で、あれだけの時間をかけていれば、もしかすると回復していたのではないか。
仮に交代を余儀なくされたとしても、選手本人や周囲の納得感は違ったのではないか。
若かった私は、そこまでの「時間」を取る余裕を持てなかったのだと思います。
そのことを、この歳になるまで、どこかで自分を責め続けてきました。

26年越しにほどけた感情

今回の訪問で、その話を大里先生にお伝えしました。
すると先生は、あの試合を「思い出の一つ」として覚えていてくださり、そう話してくれたこと自体が嬉しい、と言ってくださいました。
その言葉を聞いた瞬間、私の中にあった重たいものが、少しだけほどけたような感覚がありました。
懐かしい話から当時の時代背景へと話が及ぶ中で、大里先生は、高校野球も時代とともに変わっていく中で、常に「不易流行」を意識して指導をしてきた、と語られました。
その言葉を聞いたとき、かつて迷わず島村君を交代させたあの場面は、
私の中で長年抱えてきた「後悔」から、
大里先生の勝負に対する在り方へと、静かに意味を変えていきました。
変えてはいけないものと、変えていくべきもの。
その狭間で下された一つの判断が、26年の時を経て、ようやく自分の中で受け取れた気がしています。

結果として、15分の予定だった訪問は、気がつけば2時間近くお邪魔していました。
それもまた、忘れられない時間となりました。

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