前例のない、
誰も到達していない目標に向かうということは、
ひとりで歩いているような孤独だ。
同じ景色を見たことがある人が、
まだ誰もいないのだから、
それも自然なことだと思う。
それでも、
あなたの挑戦が、
誰にも見られていないわけではない。
あなたの気遣い。
親切心。
影の努力。
日々の頑張り。
それらは、
思っている以上に、
人の目に触れている。
一方で、
あなたが気にしているほど、
他人はあなたの内側を見てはいない。
失敗したらどう思われるか。
変に見られていないか。
頭の中で繰り返す反省や葛藤。
そこまで、
誰もあなたを見ていない。
だからこそ、
前例のない挑戦を始めると、
ときに「ドリームキラー」と呼ばれる人が現れる。
彼らは、
あなたの不安を見ているのではなく、
あなたの挑戦そのものに、
少し反応しているだけだ。
それは羨ましさかもしれないし、
怖さかもしれない。
かつて自分が諦めた何かを、
思い出してしまうだけなのかもしれない。
あなたが失敗すると、
安心する人がいるのも事実だ。
「やっぱり無理だった」
「挑戦しなかった自分は間違っていなかった」
そうやって、
自分を守ろうとする人もいる。
僕の大学時代の話だ。
当時、
僕の大学では、
練習中、補欠は
バッティング練習をさせてもらえなかった。
授業もそこそこに、
熊本市内のキャンパスから、
グラウンドのある阿蘇へ帰る。
16kmのロードワークをしたあと、
マシンに、みかん箱一杯分、
およそ500球を入れて、
一人でバッティング練習をする。
そして、
一人で球を拾う。
それを、
淡々と、繰り返していた。
ある日、
スクールバスに乗るとき、
一番前に座る監督の前を通り、
いつものように挨拶をした。
そのとき、
運転士さんが、
「この子、いつも一人で練習してますよ」
と、監督に伝えてくれた。
監督は、
無言で頷いただけだった。
でも、
運転士さんは、
見ていてくれた。
4年生の春、
神宮大会が終わり、
夏には九州インカレがあった。
そこは、
3年以下の、
期待されている選手が主体の大会で、
4年生の補欠は、
そこに混ざる、という立ち位置だった。
準決勝、
九州産業大学戦。
代走で、
僕に出番が回ってきた。
たかが代走、
そう言われてもおかしくない場面だった。
それでも、
ベンチを乗り出して、
下級生たちが、
大きな声で、
僕を送り出してくれた。
その瞬間、
少し、胸がいっぱいになった。
ああ、
普段から、
みんなが見ていてくれたんだな、と。
代走に出ただけで、
あれだけの声が飛ぶくらい、
自分なりに、
やってきたんだな、と。
もしあの場面で、
牽制されていたら、
たぶんアウトになっていたと思う。
それくらい、
気持ちが揺れていた。
人は、
すべてを見ているわけじゃない。
でも、
何も見ていないわけでもない。
この壮大な人生の中で、
そこに向かって使う時間とエネルギーは、
やっぱり、尊い。
今は理解されなくてもいいし、
今は評価されなくてもいい。
やがてそれは、
誰かの役に立ち、
誰かを励ます力になる。
見られている気がして
恥ずかしくなるときほど、
実は、誰も見ていない。
自分なんか
見られていないと思うときほど、
実は、
誰かが、静かに見ていてくれている。
そんなふうに、
捉えてみてもいい。
すべての人が
見ていなくてもいい。
必ず、
あなたを見てくれている人がいる。
声を上げずに、
そっと、
あなたの背中を見ている人が。
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福岡正一が大切にしている、5つの視点
― 競技・指導・人生に共通する在り方 ―
結果や正解を求める前に、
人がどこに立ち、どう在るか。
そのことを、5つの視点から綴っています。
① まだ見ぬ景色を共に探す
結果や正解ではなく、「共に在る姿勢」について書いています。
② 大舞台でこそ大胆に!!
緊張や恐れを消すのではなく、引き受けた上で立つ在り方について。
③ 選手の存在にフォーカスする
評価や結果の前に、存在そのものを見るという視点。
④ 指導者の実存的変容
指導法や正解ではなく、指導者自身の在り方が静かに変わっていく瞬間について。
⑤ 大一番でチャレンジできるかどうかは
幼少期の過ごし方で決まる
幼少期の体験が、大人になってからの挑戦にどうつながるか。
これらは、順番に読む必要はありません。
今、気になるものから辿ってみてください。

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