自分を3歳児のように扱っているあなたへ


油断したくない

3歳の子どもが、何かできそうでできないとき。
「まだまだ、まだまだ」
「あとちょっと」
「もう一回やろっか」
「もっともっと」

そうやって声をかけて、励ましたことはありませんか。

できそうだからこそ、もう一歩を引き出したい。
そんな関わりだったと思います。

けれど大人になってからは、
その言葉を、自分自身に向けていないでしょうか。

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一見すると、向上心があって、
チャレンジ精神に溢れているように見える言葉たち。

けれどこうした言葉を自分にかけ続けているとき、
ふと立ち止まって見てみると、
自分をまるで3歳児のように扱っていることがある。

できていない前提で、
「まだ足りない」と言い続ける。

それは成長を促しているようでいて、
どこかで「今の自分」を認めていない状態でもある。

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ハイパフォーマーの中には、
自分にだけ、周囲が想像する以上のハードルを課している人が多い。

周りから見れば十分すぎる結果でも、
本人の中では「まだ足りない」。

評価されていることと、
自分が納得していることが、重ならない。

その基準の高さが、ここまでの結果をつくってきたのも事実です。
ただ同時に、その基準が“今の自分を受け取れない状態”を生んでいることもある。

⸻

ハードワーカーは、
地道に自分を追い込み、努力を積み重ねることには長けている。

けれどその分、
道中にあるスモールステップの喜びを、置き去りにしやすい。

「まだ足りない」を重ねるうちに、
“できた”という感覚が通り過ぎていく。

そしていつの間にか、
その喜び方そのものが、分からなくなっていく。

⸻

もともと周囲から「すごい」と思われていることを、
自分では感じ取れない。

その人の取り組む姿勢が、
誰かの憧れになり、励みになり、刺激を与えている。

そんな存在であることを、
自分で認めてあげられない。

⸻

日々の積み重ねの中で、
いつの間にか「自分を追い込むこと」そのものが目的になってしまっている。

本来は、何かを成し遂げるための手段だったはずなのに、
気づけば、それを続けることがゴールになっている。

⸻

そういう人たちは、
人のささやかな成功には素直に喜べる。

けれど、
「今の自分の状態で結果を残したときの喜び」を、
受け取る感性が、どこか鈍くなっていることがある。

できていない前提で走り続けていると、
“できた”という事実が通り過ぎていく。

⸻

人生が終わるまで学び続けることと、
ささやかな喜びを感じられないことは、まったく別のものです。

積み上げることと、
感じ取ることは、同時に成り立つ。

どちらか一方ではなく、
両方あってこそ、前に進み続けられる。

⸻

完璧を目指すことと、
いま目の前の試合に、凸も凹も含めて在ることは違う。

似ているようで、まったく別のもの。

それを無意識に同じテーブルに乗せてしまうと、
「もっとやらないといけない自分」と
「いま、ここにいる自分」がぶつかり始める。

⸻

試合の中で必要なのは、
完璧な自分ではなく、

その瞬間に起きていることに対して、
そのまま反応できる状態です。

凸も凹も、良いも悪いも含めて、
そのまま在ること。

そこからしか、次の一手は生まれません。

⸻

油断しないことと、
自分を追い込み続けることは、違う。

その違いに気づいたとき、
プレーの質も、見えている景色も、少し変わってきます。

⸻

類稀な存在ほど、字の如く“稀”です。
だからこそ、理解されにくいのもまた、自然なこと。

周囲に悪気があるわけでもなく、
ただ、その感覚を共有できる人が少ないだけ。

⸻

だからこそ、
自分の中で起きていることを、ひとりで抱え込みすぎないこと。

言葉にして外に出すことも、
違う視点を受け取ることも、ひとつの選択です。

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見えているものを整えたり、
感じていることをそのまま扱ったり、

そういった関わりの中で、
自分自身の輪郭が少しずつはっきりしてくることもあります。


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