ベンチを殴り、骨折したプロ野球選手

— その奥にあるもの —

 

あるプロ野球選手が、ベンチを殴打し、左手を骨折した。

この出来事に対して、世間では
「プロとしてどうなのか」
「感情のコントロールができていない」
といった声が上がっている。

社会的視点としては、その見方も一つの事実だと思う。
結果としてチームに影響が出る以上、責任という言葉で語られるのも自然な流れだろう。

ただ、その視点だけで、この出来事を捉え切れるだろうか。

トップアスリートは、日頃から心身を鍛え上げ、
人を惹きつけ、喜ばせるエネルギーを持っている。

だからこそ、ひとたび琴線に触れたとき、
それは一瞬で、積み上げてきたものを壊す力にもなる。

日々、極限まで身体を追い込み、
結果を求められ続け、
数万人の観衆の前に立ち続ける。

歓声だけでなく、ヤジもある。
期待だけでなく、重圧もある。
一つの判定、一つの結果が、すべてを左右する世界。

その中で生まれるエネルギーは、
綺麗に整えられるものばかりではない。

むしろ、多くは行き場を持たないまま、
内側に溜まり続けていく。

言葉にならない感情。
処理しきれない衝動。
説明できない苛立ち。

それらは消えるわけではなく、
どこかで外に出ようとする。

そして、その奥には、
責任感やチームへの想い、
人を思う優しさのようなものも、含まれているのかもしれない。

チームを思い、チームに貢献したい。
やっと掴んだ重要なポジション。

だからこそ、外側だけを見て、
その人を切り取ってしまうことだけは、避けたい。

感情は、現象だと思っている。

喜び、怒り、悲しみ。
その出方は人それぞれで、どれも自然なものだ。

泣く人もいれば、震える人もいる。
笑う人もいれば、表情が固まる人もいる。
汗が出る人もいれば、言葉が止まる人もいる。

ただ、出方が違うだけで、
どれも一つの現れに過ぎない。

プロである以上、
球団からの判断やペナルティがあれば、それは受け止める必要がある。

ただ、若い頃の失敗や恥は、
その後の在り方によって、いくらでも意味を持ち始める。

プレーができない時間。
思うように動けない時間。

その期間をどう過ごすかで、
その先は変わっていく。

ただ、いつの間にか私たちは、
「いい」「悪い」で判断し、
どちらかに振り分けることに慣れすぎているのかもしれない。

その瞬間、見えなくなるものもある。

これは、擁護でも否定でもない。

ただ、こうした出来事の裏側にあるものに目を向けること。
それもまた、スポーツに関わる一つの視点なのだと思う。

そして、コミュニケーションは一方通行ではない。

だからこそ、
戻ってくるその瞬間を、
静かに、あたたかく迎える余地があってもいい。

持っているエネルギーの大きさは、
扱い方ひとつで、
人を動かす力にも、壊す力にもなる。


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