すべては必然

— しなやかに戻る力 —

 
高校野球の審判をしていた頃、こんな試合がありました。

試合途中から、雨足が強くなっていきました。
マウンドや打席に砂を入れながら、なんとか試合を続ける状況。

不思議なことに、
片方のチームの攻撃のときだけ雨が強くなり、
もう一方の攻撃のときには、雨が弱まる。

振り返ってみると、どこか奇妙で、
まるで何かの流れが働いているような試合でした。

もちろん、偶然と言えばそれまでです。
けれど、現場に立っていると、
“ただの偶然”では片付けられない感覚が残ることがあります。


数年前、ある高校野球チームの話です。

そのチームは、2年連続で夏の大会、第一シード。
それにもかかわらず、どちらも初戦敗退。

結果だけを見れば、「まさか」と言われるような敗戦でした。

やがて監督が退任し、
チームの中で、レギュラーと控えが数名入れ替わりました。

外から見れば、単なる世代交代や戦力の変化です。
けれど、内側では確実に何かが動いていました。

空気、関係性、立ち位置、覚悟。
言葉にはしづらいものが、少しずつ変わっていく。


人は、結果だけを切り取って意味を探そうとします。

「あの敗戦がなければ」
「あの時こうしていれば」

けれど、本当にそうでしょうか。

その出来事があったからこそ、
見えるようになったものがある。

その出来事があったからこそ、
手放さざるを得なかったものがある。

その出来事があったからこそ、
新しく立つしかなかった自分がいる。


“すべては必然”

僕は、そういう環境の中で育ってきたからか、
どんな不条理でも受け入れる力があるのかもしれません。

ただ、多くの人がそう言い切ることは、簡単ではありません。

苦しい出来事や、納得できない結果を前にしたとき、
それを必然だと受け取るのは、簡単なことではない。

むしろ、受け入れられないのが自然です。

けれど——

時間が経ち、少し距離ができたとき、
ふと振り返ると気づくことがあります。

「あの時のあれが、今につながっている」

そう思えた瞬間、
出来事の意味は変わります。


大事なのは、無理に前向きに捉えることではありません。

起きたことを無かったことにせず、
そのまま持ちながら進むこと。

そして、どこかで気づくことです。
 
そこに評価や比較、分析はいらない。

自分は、何度でも戻ってこれるということに。


人は折れます。
揺れます。
迷います。

けれど、完全に壊れるわけではない。

しなやかに、戻る。

その力を、もともと持っています。


だからこそ、

今、目の前で起きていることも、
すぐには意味が分からなくてもいい。

納得できなくてもいい。

ただ一つ言えるのは、

その出来事は、
今の自分に必要な形で起きている、ということです。


そう感じたとき、
それは「実存的変容」へ向かっている合図です。


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