予習と復習

 

何かを始める前に、
予習をする人は多い。

もちろん、それ自体が悪いわけではありません。

知識を入れる。
準備をする。
イメージを持つ。

それによって安心できることもあるでしょう。

けれど、ときどき感じることがあります。

予習ばかりが増えると、
人は「やらない理由」を作り始めることがある。

もっと知ってから。
もう少し理解してから。
準備が整ってから。

そうやって、
いつの間にか“やらない理由”としての予習になっていく。

一方で、
本当に変化が起きる人は、
復習に力を入れていることが多い。

とりあえずやってみる。

この言葉は、
雑に聞こえることもあります。

けれど本来、
「まずやってみよう」は精神論ではありません。

やってみたら「どのくらい」が分かる。

そこから改良を繰り返していくことが、
ナチュラルに起こる復習のサイクルです。

知らなければ知らないほど、
経験がなければないほど、
最初は失敗する確率の方が高いこともあるでしょう。

むしろ自然です。

大切なのは、
そのあとをどう捉えるか。

現象はひとつです。

けれど、
捉え方は無数にあり、
そこには自由があります。

上手くいかなかったプレーを回想し、
どういうタイミングなら、
どういう軌道なら、
どういう感覚なら、
上手くいったのかを見つめていく。

打てなかったボールに対して、
「次はこうしてみよう」
を、自分の中で何度も味わう。

それを、
感情がなくなるまで、
身体に馴染むまで、
リアルタイムで復習していく。

ここでいう復習は、
過去に執着することとは違います。

感情を無かったことにしない。

悔しさも、
怖さも、
恥ずかしさも、
やれなかったことも、
その瞬間に起きた感覚も、
ちゃんとそこに置いておく。

そして、
無くなるまで味わい尽くす。

“味わう”という言葉は、
軽く聞こえるかもしれません。

けれど本当は、
かなり深い作業です。

感情が学びへ変わるまで、
感覚として統合されるまで、
逃げずに見つめる。

そうすると、
ある瞬間に、
自然と手放せる時が来る。

「終わった」のではなく、
「学びに変わった」から次へ進める。

一筋縄では行きませんが、
この感覚を習得することはとても重要です。

逆に、
呼吸が浅い状態のまま、
無理に前向きになろうとすると、
安易なポジティブ・ネガティブ論になりやすい。

「気にするな」
「切り替えろ」
「次、次」

もちろん、
そういう言葉が必要な場面もあります。

けれど、
それは試合中の話と、
試合後の話では異なります。

感情や現象を無かったことにして進むと、
人は同じことを繰り返します。

なぜなら、
復習されていないからです。

これは、
競技だけの話ではありません。

今、この文章もそうです。

とりあえず発信してみる。

出してみて、
違和感を感じ、
復習して、
修正する。

また出してみる。

その繰り返しです。

だから、
「まずやってみよう」は、
勢いで突っ込むことではない。

復習する力を持っている人の言葉なのだと思います。

そして実は、
「まずやってみる」人ほど、
復習を“復習”として捉えていないことがあります。

やってみて、
違和感を感じ、
修正して、
また試す。

その循環が、
無意識に起きている。

だから変化していく。

復習とは、
机に向かって振り返ることだけではなく、
体験を、
感情を、
感覚を、
無かったことにせず、
次へ繋げていく営みなのだと思います。

触れて、
感じて、
また触れる。

その繰り返しの中で、
少しずつ感覚は養われていくのだと思います。


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