すべてのプレイヤーにチャンスを

―― 人は、そうしか生きられない

 

私の亡父は、アマチュア野球の審判として名を馳せた人でした。

 

熊本、九州、そして中央とのパイプは強固で、同時に熊本市立桜山中学校野球部の監督を長年務めていました。

桜山中学校区は、やんちゃという言葉では収まらないほど荒れた地域でした。

一方で、熊本高校や済済黌へ進学する生徒もいて、実にバラエティに富んだ選手たちが集まるチームでもありました。

大人しいガリ勉くんも、荒れた中学生も。

亡父は、誰に対しても変わらず、優しく、そして厳しく接していた人でした。

ちなみに現在の桜山中学校は、市内でも有数の高偏差値を有する学校になっていると聞いています。

私が15歳の頃、両親がマイホームを持つまでは、6畳と4畳半のオンボロ2DKに親子3人で暮らしていました。

そこには、ほぼ毎日のように中学生が自主練に訪れ、高校・大学・社会人野球の関係者、時にはスカウトの方まで出入りしていました。

才能ある選手を上のカテゴリーへ送り出す一方で、

これ以上は野球を続けられない選手を、別の道へと押し込む。

今思えば、野球の「政治的な側面」を、私は子どもながらにずっと見続けてきたのだと思います。

有名な社会的に問題視されていた三兄弟も、亡父の教え子でした。

祖父認定のような距離感で、何かあれば本気でぶん殴る。

それでも切らなかった。

審判としても知られていた父のもとには、審判仲間もよく家を訪れていました。

アマチュア野球の審判というのは面白いもので、会社役員からタクシーの運転手まで、実に多様な職業の人たちがいます。

父は彼らの野球の話だけでなく、仕事や人生の相談にも耳を傾けていました。

私は幼い頃から、人の強さと弱さが入り混じる場所に身を置いていたのだと思います。

何度失敗しても、直向きであればチャンスを与える。

何度嘘をついても、それでも信じてあげる。

悪く言えば、お人よしだったのかもしれません。

あるとき、私は父に尋ねたことがあります。

「なんで、あんな人助けるの?」

父は少し間を置いて、こう言いました。

「1人にしたら、寂しかろうが」

この言葉は、今もなお、私の生き方の軸になっています。

【人は本質的に、みな善良である】

これは、私のコーチングマインドのひとつです。

どれだけ厳しい態度を取る人でも、

どれだけ周囲から問題視されている人でも、

ふとした瞬間に垣間見える“人間味”や“優しさ”に触れたとき、

その奥にあるものを感じて、許せてしまうことがあります。

理屈ではなく、感覚として。

「ああ、この人も、そうせざるを得なかっただけなんだな」と。

それは、私が幼い頃から見てきた世界とも重なります。

分け隔てなく接し、何度転んでも人を切らなかった父の姿。

あの環境で、あの人たちと向き合い続けていた理由は、

きっとこの感覚だったのだと思います。

スポーツの現場でも、同じことが起きます。

立場や評価、過去の失敗や実績を超えて、

人の“純”がふと顔を出す瞬間が、必ずある。

競技中の一瞬の表情。

仲間にかける、計算のない声。

試合後、家族と向き合うときの背中。

そうした場面に、私は何度も立ち会ってきましたし、

そのたびに「やはり人は善良なんだ」と、救われてきました。

そして私は思います。

この“純”な状態こそが、ゾーンの入口なのだと。

本音でいられて、

嘘がなくて、

心が静かで、

迷いがない。

力が出る以前に、

人が人として整っている状態。

ただし、それは

「純になろう」

「善良であろう」

と意識して到達できるものではありません。

むしろ、評価や恐れ、役割や期待を一枚ずつ手放した先に、

気づけば戻っている場所に近い。

だからこそ私は、

対話やコーチングの中で

その人の中にすでに存在している

“善良さ=純”に触れていくことを大切にしています。

矯正するのでもなく、

正すのでもなく、

引き出そうとするのでもない。

ただ、

「ここに戻ってきてもいい」

という余白を、一緒につくる。

それはきっと、

何度転んでも立ち上がることを許される感覚であり、

「今度こそ」を渡される体験なのだと思います。

すべてのプレイヤーに、チャンスを。

それは、

全員を救うという理想論ではありません。

裏切られると分かっていても、

それでもあえて信じるときがある、という選択です。

何度も失望するかもしれない。

また同じところで躓くかもしれない。

それでも、人を完全に見限るという判断を、

私はできません。

人は、そうしか生きられない。

弱さを抱えたまま、

誰かに信じられながらでしか、

前に進めない生き物なのだと思うからです。

だから私は、

人が人生という舞台に立ち続ける権利を、

こちらから奪わない側でいたい。

私は、アスリートと本音で向き合い、

内側に必ず存在する“純”にアクセスするサポートをしていきたい。

それが、

結果よりも先に人を整え、

本来の力を、静かに、確かに引き出していく

一番の近道だと感じています。


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