言いたいことを言える関係性
先日行われた女子バレーアジア選手権で、日本チームは準決勝で敗れ、ロスオリンピック出場権はお預けとなりました。
作戦やコンビネーションをはじめ、いろんなズレと、思い描いていたものとの大きな隔たりを最も感じているのは、選手やチームスタッフの皆さんでしょう。
だからこそ、当事者の皆さんが得る気づきに期待しています。
僕はダイジェストでしか確認していませんが、僕の中で仮説として感じていたことは、報酬のちらつきとコミュニケーションです。
報酬のちらつき
今大会では、勝ち進み優勝すれば、ロサンゼルスオリンピックの出場権を最短で手に入れることができました。
その出場権というのは、心理学的には報酬に当たります。
そして、その報酬が脳裏にちらつくと、目の前のプレーよりも結果に意識が支配され、外発的動機が強くなってしまうことがあります。
もちろん、世界の頂点を目指して、日頃から肉体と精神を追い込んで頑張ってきたわけで、世界一を目指すことは何の問題もありません。
ただ、ビジョンとして世界一を目指すことと、その最善策として目の前のことに集中していることは、別のことです。
勝利のみに支配され、報酬が脳裏にちらついた状態で、試合展開や結果が伴わなかった場合。
なかなか立ち直るのが難しくなります。
それは、類稀な努力の中で、ゲーム中に最高に表現できているという真の報酬が感じられないからです。
優勝やオリンピックを目指すことは大切です。
ただ、その報酬を手に入れるために必要なのは、目の前のことに集中することではないでしょうか。
魂のコミュニケーション
表情や言葉遣いなど、見た目のいいことばかりが求められる昨今。
その中で、思い描いたストーリーから踏み外すと、手のひらを返すような批判を浴び、人の冷たさや生々しさを身にしみて感じることがあります。
そこで、どう振る舞うかが、その先の成長を大きく左右します。
サッカー、バスケット、野球、その他さまざまなスポーツで海外を経験した選手は、「日本人は自己主張が足りない」と口を揃えて言いますよね。
先日のサッカーW杯でも、試合後のインタビューで、
「なんで俺にパスしねぇんだと思ったんですけど、そのまま決めやがって……」
というニュアンスで、冗談っぽく答えていた選手がいました。
その言葉には、プレー中に感じた本音がありました。
今回の女子バレー代表チームにとっても、今大会は本質的なコミュニケーションの必要性に気づく機会になったのではないでしょうか。
これまでも思ったことは言い合ってきた。
だけど、感じている違和感。
その違和感は極めて抽象的で、言葉にしづらくもある。
これは、今まで思っていることを言わなかった、という単純な話ではありません。
意識層でも無意識層でも、抑圧していたことに気づく機会になったのではないかと思うのです。
「そんなんじゃ、いつか負けるよ」
「もっと遠慮せずに、自信を持ってトスを上げて」
「なんでボールを追わないの」
「もっと私を使ってよ」
「打ちにくい」
言えばキリがありません。
試合中、劣勢が続くと、積もり積もった言葉や固有名詞が喉元まで来てしまいます。
個人的には、言っちゃえばいいのにと思うんですね。
日本の世論には、揉めることはダメなことだという先入観があります。
だからこそ、揉めないことを訓練され、それが意識層から無意識層まで刷り込まれる。
そして、自分が抑圧していることにさえ気づかないという現象が起こっているのだと思います。
アサーティブコミュニケーションというものがあります。
丁寧に伝えることや、互いの境界線を尊重することなど、さまざまな研究があります。
これを言い出すと話が止まらなくなるのでやめておきますが、自分が思ったことを、なかったことにして「伝えない」という選択ではない、ということです。
伝えてみて、すんなり分かり合えることもある。
一時的にギクシャクすることもある。
揉めることもあるかもしれない。
しかし、それらは伝えてみないと分からない現象です。
コーチングにおけるコミュニケーションは、双方向です。
自分だけが思って内に秘めていても、試合が終わってしまえば後の祭りです。
鉄は熱いうちに打てではありませんが、試合が終わっても熱が冷めず、思いが込み上げている時に、それらを出し合うことも組織の成長過程では必然だと思います。
今大会で、何を為そうとして、何を為したのか。
負けが成熟を生む。
ロサンゼルスオリンピックから逆算すれば、いい時期に迎えたこの現象。
一人も欠けることなく、みんなで進んでほしい。
全日本女子バレーチームがロスで金メダルを首にかけ、泣きながらはしゃいでいる姿が目に浮かぶのは、僕だけでしょうか。



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