全力疾走

 

きびきびハツラツとした姿を高校野球ファンは求めていた時代がありました。

では、現代はどうなんでしょう。

もう30年ほど前でしょうか。

熊本県北部に位置する山鹿市に市民球場が建設され、ある日曜日に山鹿市の城北高校が箕島高校と西日本短大附属高校を招いた招待野球が開催されました。

しかも、その前日。

同じ3チームによる総当たりのオープン戦が行われたのですが、本番前日にもかかわらずスタンドは超満員でした。

そこで3試合を担当することになった派遣審判の僕も、胸が高鳴ったことだけは今でもはっきり覚えています。

箕島高校と城北高校の試合。

箕島高校は甲子園常連の強豪校でしたが、いわゆる「全力疾走」といったガツガツした雰囲気はありませんでした。

ところが、攻守交代や打者交代になると、驚くほど試合がスムーズに進むんです。

違和感があるほどに。

その秘訣がありました。

選手たちが、自ら守備位置へ向かい、
自らベンチへ戻り、
自らバッターボックスへ向かい、
ファウルボールやバットを拾う。

誰かに言われる前に、
一歩目が自然と出ているんですね。

その時、僕は学びました。

人が自ら進んで一歩目を動かせば、
全力疾走をしなくても、
試合は円滑に進むのだと。

MLBでは近年、
ピッチクロックという投球間隔に制限を設けるルールが導入されました。

本コラムでもいつも触れていますが、
規制というものは、
時に成長の妨げにもなりますし、
本能的な反発も生みます。

元々アメリカでは、
スポーツにはショーマンシップ的な要素が強くあります。

試合時間が長くなれば、
お客さんが帰ってしまう。

だからこそ、
「どうすれば観客が楽しめるか」
という視点から時間短縮が図られていく。

一方、日本ではMLBのルールを少し遅れて導入することも多く、
趣旨が十分共有されないまま、
「とにかく早く進めるためのもの」
として捉えられることがあります。

もちろん間違いではありません。

けれど、
いつの間にか
“ピッチクロックをやるためにピッチクロックをやる”
ようになってしまうこともある。

ルールはあくまで決め事です。

投手はストライクゾーンに投げ、
打者は積極的に打ちにいく。

それを楽しむのか。

あるいは、
間や感覚、
読み合いを楽しむのか。

本来そこには、
様々な文化や価値観があります。

40年ほど前、
あるフットボールのアマチュア大会で、
片方のヘッドコーチがチャレンジを要求したそうです。

しかし当時は専門スタッフなどいません。

本部席へ戻り、
自分たちでビデオを再生する。

その間に、
観客は帰り、
選手の汗は引き、
試合そのものが少しずつ冷めていった。

だからこそ、
「人が見るスポーツ」である以上、
競技そのものだけではなく、
場の流れや空気感、
そこにいる人への配慮という文化も育っていったのかもしれません。

話は少し逸れましたが、
時間短縮を精神論だけで捉えるのではなく、

“どうすれば場がスムーズに流れるか”

という視点で考えられるようになると、
一人一人の一歩目が、
場づくりに影響を与え始めます。

ルールと戦わない。

規制に反発することへ
エネルギーを使い過ぎない。

これは運営側にも言えることです。

では、
選手側はどうでしょう。

ミハイ・チクセントミハイ 曰く、
スポーツとは、
本来「制限を楽しむもの」でもあります。

限られた時間、
限られたルール、
限られた空間。

その中で、
どう工夫するか。

どう表現するか。

もちろん、
全力でその場所へ向かうことも大切でしょう。

けれど、
いわゆるビヘイビアを
「やらされるもの」
として捉えるのではなく、

インプレーにエネルギーを注ぐために、
どう振る舞えばいいか。

場を止めず、
流れを切らず、
自然に次へ向かえるか。

そんな視点で捉え直してみると、
“全力疾走”という言葉の意味も、
少し変わって見えてくるのかもしれません。


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