自分探しはいらない
謙虚でありたい。
謙虚になりたい!
みんな真面目だから、謙虚になろうとします。
その思いとは裏腹な表現をしてしまったら、深く反省し、自分を責めます。
謙虚にいようとして間もなく、
「謙虚になれよ!」
とたしなめられ、イライラします。
そして元に戻り、また思い出したように謙虚になろうとします。
謙虚であることは大切なことです。
でも、そこに「なろう」とすると、その繰り返しです。
謙虚になろうと思っているということは、もうすでに謙虚さを持っているのではないでしょうか。
と僕は感じるのです。
人は、自分の中にまったくないものを、そう簡単に言葉にはしない。
人の善の心は、すでに備わっている。
謙虚さも、そのひとつなのかもしれません。
もう、あなたの中に謙虚さを持ち合わせているのです。
その謙虚さは、
今さら。
恥ずかしい。
照れくさい。
面倒くさい。
その繰り返しで、抑圧され、忘れ去られていく。
たった一瞬、ある時期の振る舞いを否定されたことの影響も、あるでしょう。
そんな元々ある謙虚さを、ひょいと目の前に置く。
どこに行ったか分からなくなった謙虚さを、共に見つけ出す。
⸻
謙虚さを例えに出しましたが、楽しむ、とかもそうですよね。
スポーツを楽しむ自分になろうとすると、なれないどころか、何が楽しいのか分からなくなる。
自分だけの楽しさというものがあるのに、周囲への同調などにより適合癖がつき、自分の楽しさを表現することなんて、生活のどこにもなくなっている。
謙虚さも、楽しむことも、元々あなたの中にあるものなのかもしれません。
⸻
もうすでに持っているものを、もう一度、自分の目の前に置いてみる。
新しい自分を探すのではなく、
そこにあった自分に、もう一度気づくために。
自分を変えるのではなく、元の自分に還る。
すでに自分の中にある善の心を、もう一度自分の目の前に置けるよう、僕が全力で寄り添います。

この記事へのコメントはありません。